小雪が散る参道と一味違う山王山

小雪が舞う山王山からの眺め
昨日からの冷え込みで、小雪が舞っております。
山王山からの眺めは、色付く木々に透明な冷気のベールがかかったような冬仕立て。
が、振りかえれば穏やかなお顔の釈迦如来さま。強張った背中がゆるゆるとほどけるようです。
さて、山王山は他の石仏群とは異なり、地元の仏師が彫ったと(他の群は京都の仏師による作)います。それだけでも大きな特色なのですが他にも変わった点があるようです。
その一つが、螺髪(大仏パーマ)の謎です。
螺髪は智慧の象徴とも言われる「如来さま」のヘアスタイルですね。
山王山の中尊である釈迦如来様も立派な巻貝パーマをお持ちです。ところが、頭のてっぺんは省略されて真っ平!

一見、立派な大仏パーマに見えますが
発見した時は、衝撃が走ったことでしょう。確かに大きな仏様。通常は頭の上まで見えません。だからといって彫らないという選択は、ないような。
真上には「日吉神社」あります。「神さまが見ています!」。
そう言うと、お応えが反ってきそうです。「私は神でもあるのだよ」と。
というのも、山王山は「本地垂迹(仏は神の化身であるという考え)」という思想の下に彫られた、という説もあるからです。
いずれにしろ、何か急ぐ理由があったのでしょうか?
やっぱり一味違う仏様です。そこがまた魅力でもあります。

言われてみれば、上は平らかな?
みなさま揃って本除去も終了、いよいよ仕上げに~保存作業進捗状況

本除去も終了した向かって右半分の仏さま方
さて、前回無量寿如来さまだけ焼け具合が遅れ、紫外線照射続行中とお伝えしておりましたが、その後照射が終わりお揃いで、「本除去」作業に入ることができました。
岩のお肌に生えた着生物、根に近い部分の「本除去」は、神経を使う慎重な作業です。今週無事に終了し、本日は最後の行程「撥水作業」に入るそうです。
本年度は向かって右半分の仏様(無量寿如来さま~多聞天さま)までのお肌のお手入れを行っております。
昨年度行った、向かって左半分と比べてみましょう。

昨年度お手入れをした向かって左半分の仏さま、緑の苔が生えています。
左側の阿閦如来さま、宝生如来さまをアップで見ると、お腹の下部分が緑色に見えます。もう、苔などが育っている様子。
お手入れ直後の向かって右半分の仏様、無量寿如来さま、不空成就如来さまは黒っぽく見えます。

お手入れ直後の向かって右半分の仏さま、まだ緑は少ないですね。
これから、苔などの生育を遅らせるために、撥水剤を散布します。最後の仕上げですね。化粧崩れを防ぐ、プレストパウダーといったところでしょうか?
ほっとひと心地ついた6体の仏さま。そんなお気持ちを察したように、今日は上にある日吉神社のお祭り(神事のみ)も執り行われました。きりりと冷たい12月の参道、終わったと思った紅葉が、さらに朱く染まっておりました。

最後に朱く染まった木
紫外線照射進捗状況、残すは無量寿如来さま

無量寿如来様、ゆっくり照射中
11月に1回目の紫外線照射と除去を行った、今年の紫外線照射・保存作業。その後、2回目の照射を行い、より深い部分の苔など着生生物を枯らしております。
ほとんどの仏様のお肌は、ほどよく焼き上がったのですが、大日如来様のすぐお隣、無量寿如来さまが、もう少しお時間がかかるようです。
みなさま揃って「本除去(岩肌の深い部分に伸びた根の付近を刷毛などで取り払う作業)」へ進みましょうね。
さて、古園石仏を護ってくれている金剛力士立像。こちらは、草取りの為の高い足場が組まれています。
今年はまだ紫外線照射はできませんが、躰に絡まるように生えた蔦や苔、シダは丁寧に取り払われます。
大きな岩に彫られているため、高い位置での作業。作業をされる方の苦労が伺えますね。足下に気を付けて下さいね。
高い位置まで彫られた大きな躰を見上げると、立派な覆い屋の中に納まった仏様とは異なる自然に調和した風格をあらためて感じさせられます。
それぞれの持ち味を生かした保存方法で、22世紀にも臼杵石仏が変わらずに在り続けることを願っています。

金剛力士立像の草取り準備
11月の雨が見せる美しい石仏たち

それぞれの特徴が見られるホキ2群の九品弥陀
季節外れの暖かな雨が降ったり止んだりの石仏。
鮮やかに発色した仏様を見て回りました。
まず、ホキ2群(九本の弥陀)で目を惹かれたのは、美仏内閣の文部科学大臣こと阿弥陀如来様。肌の色(黄土)がはっきり出ています。柔和な中にも思慮深い表情、「お迎えにきましたよ」と語りかけてきそうです。対照的に隣の阿弥陀様は深く瞑想している様子。さらにその隣の阿弥陀様は衲衣も存在感が出ています。両肩にかかるタイプだったのかな?9体それぞれの特徴も雨は見せてくれます。
さて、発色といえばホキ1群の地蔵十王像です。

地蔵十王像、いつにも増して鮮やか
期待を裏切らず、鮮やかです。ただ今日だけの見え方は?と考えると難しいものです。鮮やかな姿を見慣れたせいでしょうか?
最後に、湿度・温度、それらの前日比、いろいろな条件が揃ってやっと浮かび上がる梵字です。今日はこちらもはっきりと見えました。
古園石仏群向かって左半分のある仏様の光背の中に見えるのですが、どこでしょうか?

梵字はどこでしょう?
向かって左端から3番目の勢至菩薩様の頭上です。
梵字の「バン」、大日如来を表現した文字です。

梵字のバン
11月の終わり、思いがけず美しい石仏日和となりました。
石仏はなぜ一度に彫られなかったのか?

向かって左が勢至菩薩
臼杵石仏は、平安時代後期から鎌倉時代にかけて(12世紀後半から14世紀中頃)、造立されたとされます。なぜ約150年もの長い期間がかかったのでしょうか?
京都からやって来た仏師集団は、各群を同時に着手し数年で彫ることもできたのでは?
というのも、仏師集団はいくつかのグループに分かれ、その中でも「頭・胴体・足」と担当が分かれていたと分析されているからです。
かなり、効率的な体制です。
さて、時間がかかった理由ですが3つの説があります。
まず、経済的な理由です。
京都から来た仏師たちは完成させた分だけその都度報酬を請求したから、というもの。細かい分割払いが認められなかったため、大金が準備できるまで次へ進めなかったということです。地方財政、あまり信用無かったのでしょうか?
2つ目は、造る順番の問題です。
まず、極楽浄土(ホキ2群)を完成させる必要があったのだろうと。権力者は、自らの往生と力の誇示を生前のうちに形として残したかったのでは?

九品の弥陀(彼岸)から見た満月寺方面(東・此の世)
最近の研究では、ホキ1群の一部とホキ2群は同時期に造られたとされます。 とすると、極楽浄土とその本尊である阿弥陀仏を真っ先に完成させることになります。石仏群の中でも随一の美しさを誇るとされるホキ1群1龕の阿弥陀如来像。立派なご本尊、トップバッターかもしれません。

石仏群随一の美しさを誇るホキ1群2龕の阿弥陀如来像
3つ目は、その時代の流行を追ったため時間がかかった、とする説です。
当初は浄土庭園と極楽浄土(満月寺と含むホキ石仏第2群)のみの構想だったが、大日如来像も配置し立体曼荼羅を表現しえみよう、地蔵信仰も取り入れ地蔵十王像も置いてみよう、と次々と計画が広がったのではないか、と。

最も新しいとされる(鎌倉期に彫られた)地蔵十王像
どれも説得力がありますし、相互に関連し合っているようにも思えます。
いずれにしろ、4群61体という壮大な磨崖仏群が完成できたことは、すばらしいことです。ゆっくりと時間をかけたからこそ、今もなお親しまれる魅力があるかもしれませんね。