タイサンボクの花びらプレート&ハートの進化形

散って乾燥したタイサンボクの花
先日、お釈迦様の歯?のような白い花が咲いた、とお伝えしたタイサンボク。早くも花は散ってしまいました。連日の猛暑でカラカラに乾いていきます。これがなかなかいい味を出しているのです。
東南アジアの雑貨にありそうな、舟形のお皿のような。
今朝は雨に濡れ半生の花びら、南国っぽい甘い香りがします。タイサンボクの芳しさは古くから珍重されているようで、香水にも使われているそうです。
すっかり参道に馴染んでいるタイサンボク、姉妹都市キャンディーの町ではどんな表情をみせているのでしょうか?
さて、古園石仏に移動し公園を見渡すと、緑のハートが2重になっていました!内側の草刈りをしたのでしょうか?今だけの景色がここにもあります。古園13仏も「これまた初の浄土庭園風景ですな」なんておっしゃられているかもしれません。

進化形緑のハートが見える浄土庭園?
お釈迦様の菩提樹ではないけれど、敦煌と臼杵をつなぐ菩提樹

事務所前の菩提樹
6月になると、事務所前の菩提樹の木が白い小さな花を付けます。今は花が終わり、お数珠のような小さな実が揺れています。

お数珠の様な実
この木は、1994年9月27日に敦煌市と臼杵市の友好都市調印記念に植樹されました。
敦煌市は中国北西部に位置し、シルクロードの交通の要衝として栄えたオアシス都市。仏教文化も独自の発展を遂げ、多くの仏教遺跡があります。その代表格が莫高窟。岩壁に連なる洞窟には、約2400体の塑像(粘土で造られた仏像)が現存するという壮大さです。
臼杵石仏も古園石仏群の仏像下半身は粘土層であり、そこに岩をはめ込んで造られています。石仏と塑像の違いはあれど、少し共通点もありそう。
さて、お釈迦様がこの下で悟りを開いたという菩提樹。しかし、中国では生育に適さないため、葉の形がよく似たシナノキ科の別の木を菩提樹と伝えたそうです。
石仏にあるのも、もちろん中国から渡って来たシナノキ科の菩提樹。
敦煌との友好の木という点では、この方が道理に適っていますね。
仏教はインドからシルクロードを経て中国・日本に伝来する過程で変容していきます。菩提樹のように。
笑顔の閻魔大王、その理由は?

地獄の裁判
地獄の番人「閻魔大王」。
仏教では、人は死んだ後、生前の罪について7日ごとに裁きを受ける、という考え方があります。初7日や49日の法要、と言われるのもここに由来します。
裁判官は10人おり十王像といいます。
さて、重要なのが5回目の裁判。人の生まれ変わる世界は地獄から天まで6つあるのですが(六道)、5回目の裁判でどこに行くかほぼ決定するからです。この時の十王(裁判官)が閻魔大王。
臼杵石仏ではホキ石仏第1群第4龕でこの「地獄の裁判」が毎日開かれております。どの方が閻魔大王かは分かりませんが。
また、地獄行きが決定した後も、救世主が現れます。中央の「地蔵菩薩」です。
「神は仏の化身である」、という「本地垂迹」の考え方によると、閻魔大王(神)は地蔵菩薩(仏)の化身とされます。
臼杵石仏の十王様も厳しい裁判官であるのですが、なぜか笑顔で並んでいます。
救い主の地蔵菩薩様は厳しそう。
優しい仏様が神となって現れたのだから十王像は笑っているのかも?閻魔大王の化身だから地蔵菩薩は強面なのかも?

笑顔の十王様、5回目の裁判官はどなた?
みなさま、地獄の裁判を傍聴してみませんか?
タイサンボクの花

タイサンボクの花
石仏入口から参道を歩いていると、大木に咲いた白い花が見えます。
「タイサンボク」の花。
この木は、スリランカ中部の仏教都市、キャンディー市と臼杵市の姉妹都市提携を記念して1967年に植樹されました。
キャンディー市は、スリランカの仏教の聖地といわれ、街全体が世界遺産に登録されています。その中核をなすのは「仏歯寺」といわれる仏陀の歯(犬歯)が祀られる寺院です。
仏陀の歯、お釈迦様の歯ですね。
臼杵石仏にも数体の釈迦如来像がありますが、歯は見えないようです。スリランカにあるから?
空高く咲く白い花、形よく広がる花びらを見ながら仏陀の犬歯を想像してみます。梅雨の晴れ間の参道にて、両市の交流が末永く続くことを願っております。
仏の耳
仏像の耳が大きいのは、衆生の声を漏らさず聴くためだそうです。
今回は実在の人物がモデルとなった釈迦如来様の耳を見てみます。悟りを開いた後の耳を見ることで、人間と仏の耳に違いがあるのかが分かるかもしれません。

ホキ石仏第1群第1龕の釈迦如来像の耳
まず、ホキ石仏第1群、第1龕の釈迦如来様、顎の少し上まででしょうか?あまり大きくない印象は、細長いから?欠損が激しいためか、その表情に衆生の苦しみをたたえているような、人間らしさが感じられます。耳も仏というより人間と変わりないように見えます。
仏の耳は通常、手と同じくらいの大きさに造られているそうです。確かに、欠損を免れた「畏れることはない」という意味の施無畏印は、反対側の耳と同じ大きさですね。
しかし、多くの人間の手は耳より大きいもの。やはり仏の耳です。

ホキ石仏第1群第3龕の釈迦如来像の耳
続いて第3龕のお目々ぱっちりの釈迦如来様は?
顎くらいの長さで、中央がキュッと窪み裾がピンと外向きです。顔の他のパーツ同様、整った印象を受けます。こちらも、施無畏印の手と同じ大きさなので仏の耳です。

山王山の釈迦如来像
山王山のお釈迦様を見ると、大きなイメージ。長さというより幅でしょうか?お顔全体が大きく立体的に掘り出されているのでそう見えるのかな?しかし、少し手より短く見えるような。地元の仏師作だけに村人がモデルだったのかもしれませんね。

大日如来像の耳
さて、古園石仏に到着すると大日如来様の耳の大きさが際立って見えました。
顎のラインを大きく超えています。顎が扁平に彫られているので、耳が長くなるのかもしれません。このスタイルは、平安末期から鎌倉期に京都で多く見られたそうです。
臼杵石仏の制作年代を考察する際には、多くの専門家が耳を観察したことでしょう。横から斜めから耳耳耳・・・・。仏様はその研究議論をどの様にお聞きになっていたのでしょうね!
それにしても、山王山以外の釈迦如来像は手と耳の大きさがほぼ同じだったので、やはり悟りを開き仏になった後は耳が大きくなるということなのでしょう。