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国宝臼杵石仏公式ブログ

記事アーカイブ:

初夏の色めく石仏

地蔵菩薩、頭上の円の梵字

地蔵菩薩、頭上の円の梵字

昨日の雨も上がり、蒸し暑さと一段と深くなった緑に圧倒されそうな石仏の日曜日。
こんな日に愉しみたいのが岩肌の色です。

今日は、最初に出会うホキ石仏第2群から、一色も二色も濃く映りました。阿弥陀如来像のあたりも赤々と見えます。

色と言えば、ホキ石仏第1群の地蔵十王像が有名です。地蔵菩薩本体はさることながら、背景にある7つの円も、普段より存在感が増しているようです。各円には模様が描かれており、頭上には梵字、他の6つには地蔵菩薩が入っています。今日は、頭上の円の中に黒い部分(梵字)が見えました。

古園石仏群では、大日如来像の周囲が褐色に見えます。
そして、梵字が浮かび上がる場所といえば、向かって左端付近の勢至菩薩坐像。
今日も見えました、「バン」という梵字が。

「バン」という梵字

「バン」という梵字

勢至菩薩坐像の梵字

勢至菩薩坐像の梵字

さて、参道にも赤い小さな実が見え隠れ。野いちご?と思ったら、蛇いちごでした。

色付く仏様を見ていると、移ろいゆく季節の中の色や形にも敏感になってくるようです。初夏のあふれる生命力、私たちの心身をリフレッシュしてくれるものですね!

参道の蛇いちご

参道の蛇いちご

第13期生 臼杵っこガイド誕生

臼杵っこガイド卒業試験

臼杵っこガイド卒業試験

新緑の石仏で、「臼杵っこガイド」の卒業試験が行われました。

<臼杵っこガイドとは>
臼杵市教育委員会では毎年、臼杵の歴史に関する検定「臼杵っこ検定」を実施しています。上級合格者のうち希望者は、臼杵石仏についての講習を受けることができます。この講習で認定されると、臼杵っこガイドとして臼杵石仏で案内することができます。

本日、試験に挑んだのは、臼杵市内の小学生6名。
4回の石仏での講習を経ての卒業試験です。

1人ずつ、4群の中から一か所を選び、審査する先生方の前で説明を行いました。ガイド資料は、自分で作成したオリジナルなもの。

臼杵石仏の説明のポイントは、「いつ・誰が・何のために」という3大謎を客観的に解説することにあります。
文献が残されていないため、美術史的・考古学的・歴史的観点から、推測されることを紹介していく、という方法です。

ともすれば、一様になりがちな説明を「自分なりに捉えた視点」を織り込むことで、聴く者の興味を惹き、説得力のあるものにすることが、ガイドの手腕です。

さて、本日の受験生たちも、独自の感性と3大謎を上手に結び付けて、オリジナルな解説を行ってくれました。

また、鑑賞のポイントとして、大日如来像の顔の造形美に触れる際、彫り方にまで言及することで、美術的評価の高い理由が自然と理解されるような工夫もあり、レベルの高いものとなりました。

結果は、6名全員合格!おめでとうございます!
今後の活躍に期待しております。

臼杵っこガイド卒業試験

臼杵っこガイド卒業試験

「臼杵八ヶ所霊場巡り 」第3回 臨済宗妙心寺派 正覚山 多福寺

引き続き、本日は「臼杵八ケ所霊場巡り」シリーズ第3回目、「3番札所・多福寺」をご案内します。
お寺は、駐車場から階段を少し上がった場所にあります。

多福寺

多福寺

当山は、1601年に臼杵藩主稲葉典通公が建てた禅寺です。

最初、二王座の切通に在ったのですが、1631年、現在の地に在った奥方旧宅を改築し本堂としました。
納経して戴く境内西側の観音堂には、聖観世音菩薩が安置されております。

御朱印を頂きました。
一筆一筆に、心が込められた字を眺めるのも楽しいひと時です。

御朱印

御朱印

「臼杵八カ所霊場巡り」第2回 臨済宗妙心寺派 慈雲山 福聚寺

「臼杵八ケ所霊場巡り」シリーズ第2回目、「2番札所・福聚寺」をご案内します。

 福聚寺は、享禄4年(1531)大友家家臣疋田備前守入道によって建立されました。
元々は、疋田氏の館跡であったことから、高台の地形を利用して建てられた見晴らしのよいお寺です。
大友宗麟の臼杵城築城より少し前、当時の臼杵の町は、どのような景観だったのでしょう?そんな想いが湧いてきます。

お庭は綺麗にに掃き清められ、砂目も描かれておりました。

掃き清められたお庭

掃き清められたお庭

御朱印を書いていただきました。「大悲殿」とは、観世音菩薩がいらっしゃる場所、という意味だそうです。
観世音菩薩様のご慈悲を携えた納経帳、また一つ貴重なものになりました。

御朱印

御朱印

時代の変遷の中で変わらずに在るものたち~五輪塔

五輪塔

五輪塔

 
ホキ石仏第1群を見終えて、山王山石仏へ向かおうとすると、右手に「五輪塔」の看板が見えます。
少し険しい坂を上がると、2つの石塔が現れます。
国の特別史跡と重要文化財の2重指定を受けた「石造五輪塔」です。

ホキ石仏1群の右から続く坂道

ホキ石仏1群の右から続く坂道



大きい方は1170年、小さい方は1172年の建立。それぞれ「嘉応弐年」、「承安弐年」と刻まれています。石塔の建立時期は、満月寺や石仏群の中でも古いものの造立時期とも重なります。そうしたことから、この石塔と石仏群を本尊とする満月寺の建立は、大きな関わりがあると考えられています。
 
さて、この石塔、建立時期が刻まれたものとしては、日本で2番目と3番目に古い貴重なものです。
(一番古い五輪塔は、世界遺産にも指定された岩手県、平泉中尊寺にある金色堂の裏のもの。)

看板

看板

 
塔の右には、立派なもみじの木がありました。樹齢何年でしょう?幹の間に腰掛けられそうなほど立派な大木です。

ホキ石仏1群の右から続く坂道

もみじの大木

 
様々な時代の変遷の中で、変わらずにここに在り続けている石塔。また明るい日常が訪れることを強く信じさせてくれるようでした。

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