秋のお彼岸とホキ石仏第2群
連休初日、臼杵石仏では秋晴れの空が広がっております。
今年も秋のお彼岸が近づいてきましたね。
2021年秋のお彼岸は、秋分の日(9/23(木・祝))を挟んだ前後3日間、
9/20(月・祝)~9/26(日)です。
仏教の世界では、この世(此岸)は東に、あの世(彼岸)が西にあるとされています。
秋分の日・春分の日は、太陽が真東から昇り真西に沈むことから、この世とあの世が最も近づく日と考えられています。
臼杵石仏でも、こうした構想を見ることができます。
ホキ石仏第2群第2龕には九品の弥陀という阿弥陀如来様が並んでいますが、その真ん中に座る阿弥陀様の額に秋分の日・春分の日には、朝日が射すのです。
九品の弥陀は、人が亡くなった後、西方にある極楽浄土へ導いてくれる仏様です。人の一生を太陽の軌跡になぞらえて、この世からあの世へ、すなわち東から西へ、という太陽の動きが石仏群の配置に示されているのですね。
平安時代にこうした計算を組み込んだ設計がなされていたことを考えると、改めて石仏群を造営した仏師集団の質の高さを思い知らされるものです。
さて、今年のお彼岸、みなさまがご先祖様の供養や故人を忍びながら、穏やかな時間を過ごされますよう、仏の里より願っております。
カエルに大人気のスポット?
石仏の入り口にある、何の変哲もないポール…。
このポール、タイトルの通り、カエルたちに大人気の場所なんです!
以下、カエルの写真が続きます…。
苦手な方はお気を付けください。
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まずは一匹。
こちらもチェーンの上でひと休みの一匹。
そして三匹。
4匹。
そして5匹。
最後に6匹…。
こちらも6匹。
ポールの横に落ち着いて、静かに一休みしているカエルもいますね。
カエルたちをひきつける何かがあるのでしょうか…。笑
これは同じ日ではなく、日にちも時間もバラバラです。
見る度に数が変わっています。
そして清浄香の石碑の文字の中にも!
気が付いたらこの文字の隙間でじっとしているので、ここに入る瞬間が見たいなぁと思うのですが、なかなか。
「今日は何匹乗っているかなぁ?」「今日はどの文字の中にいるかなぁ?」と毎朝の小さな楽しみとなっています^^
中間地点の色
石仏を流れる川に咲く酔芙蓉。
朝から夕方にかけて、白から濃いピンクへ変化します。
午後2時、ちょうど中間地点では、淡いピンク色をしていました(左の花は散る前のもの)。
先日、「美仏総選挙2021」の中間発表のお知らせしましたが、10月末まで続きますので、ちょうど中間地点です。
季節や世相によっても、心に残る石仏は変わってくるかもしれませんね。今後の動向が楽しみです。
参道に咲く様々な季節の花を見るように、個々の石仏の前で立ち止まり、じっくりご覧になる方が多くなり、大変嬉しく感じております。
蓮の種の収穫と成長(蓮、成長日記①)
石仏売店で販売中の蓮の種、どんな風に採れると思われますか?
花の散った後に残る花托には、ハチの巣状に穴が空いています。
一つの花托には約20個の穴が空いており、各穴の中に黒いコロンとした種が一つずつ入っています。
花托が青いうちは、種も養分を吸収するため穴にしっかり付いていてなかなか外れません。
ふかふかのベッドという感じです。
花托が乾燥してくると、穴が大きくなり種がこぼれ落ちやすくなります。
しかし、完全に乾燥した花托では、種は既にこぼれ落ちてしまって収穫できません。
頭は茶色く、茎は上の方だけ乾燥して残りの部分は黄色っぽい半分レアな状態の花托が種の収穫には適しています。
花托をぶんぶんと振ってうまく落ちてくれるものもありますが、多くは、ちょこっと先端がくっついており、ピックのようなもので外していきます。
その後1週間ほど天日に干して乾燥させます。
さて、実際どのように芽が出て育っていくかといいますと。
まず、発芽し易い様にとがってない方(お尻)にペンチなどで切れ込みを入れます。
写真は、水に入れて7日目の様子です。
3日目に発芽し、7日目には5センチにもなりました。ぐんぐん伸びていっております。
力強く育つ6月の蓮畑を思えば、この成長ぶりも納得できるものです。
みなさま、大きな花を咲かせる小さな芽を育ててみませんか?
昭和30年代のホキ石仏第1群への誘い
お客様から昔の写真をいただきました。
(写真の掲載につきましては、お客さまより了承をいただいております。)
昭和30年代の古い石仏、その中でもホキ石仏第1群第1龕を撮影した貴重な写真です。亡くなられたお父様が撮影されたものとのことです。
約60年前、覆い屋もなく蔓が石仏のお顔にかかっています。
柵も簡易なもので、参拝者はすぐ傍らに仏様を感じたことでしょう。昔の石仏の魅力は、仏と参拝者が同じ空間に在るように感にじられたことや、自然の岩肌に彫られた粗削りとも言えそうな素朴さにあるのでしょう。
さて、写真の第1龕の如来三尊像は、存在感の強い2龕を隣にして、控え目な印象を与えがちな仏様です。
欠損も激しく、古い写真と同じように横から見ると、釈迦如来(中尊)の深く削れた顔が際立ちます。中は空洞に見えますが、現地で見ると抜け落ちた部分は少なく比較的安定していました。
3体のお顔は上を向いており、上品なカーブを描く眉と鼻のラインを持ちます。薬師如来(向かって左)の口元は経を唱えているように見えます。じっくり見ると、そこはかと漂う気品に気付かされる魅力的な龕です。
敢えて憂いのある3体の如来像を被写体に選ばれたお父様が、多くの仏像を観てこられた眼識のある方だったのだろうことが想像されます。
また、慈しみの心で鑑賞されたことをしみじみと感じさせられました。
1枚の写真を通して、今は訪れることのできない約60年前の石仏を観たような感覚をもつことが出来ます。
みなさま、この写真を眺めて、昔の石仏の魅力を感じてみませんか?