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国宝臼杵石仏公式ブログ

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紫外線照射進捗状況、残すは無量寿如来さま

無量寿如来様、ゆっくり照射中

無量寿如来様、ゆっくり照射中

 11月に1回目の紫外線照射と除去を行った、今年の紫外線照射・保存作業。その後、2回目の照射を行い、より深い部分の苔など着生生物を枯らしております。

ほとんどの仏様のお肌は、ほどよく焼き上がったのですが、大日如来様のすぐお隣、無量寿如来さまが、もう少しお時間がかかるようです。

みなさま揃って「本除去(岩肌の深い部分に伸びた根の付近を刷毛などで取り払う作業)」へ進みましょうね。

 さて、古園石仏を護ってくれている金剛力士立像。こちらは、草取りの為の高い足場が組まれています。

今年はまだ紫外線照射はできませんが、躰に絡まるように生えた蔦や苔、シダは丁寧に取り払われます。

 大きな岩に彫られているため、高い位置での作業。作業をされる方の苦労が伺えますね。足下に気を付けて下さいね。

高い位置まで彫られた大きな躰を見上げると、立派な覆い屋の中に納まった仏様とは異なる自然に調和した風格をあらためて感じさせられます。

 それぞれの持ち味を生かした保存方法で、22世紀にも臼杵石仏が変わらずに在り続けることを願っています。

金剛力士立像の草取り準備

金剛力士立像の草取り準備

11月の雨が見せる美しい石仏たち

それぞれの特徴が見られるホキ2群の九品弥陀

それぞれの特徴が見られるホキ2群の九品弥陀

 季節外れの暖かな雨が降ったり止んだりの石仏。
鮮やかに発色した仏様を見て回りました。

 まず、ホキ2群(九本の弥陀)で目を惹かれたのは、美仏内閣の文部科学大臣こと阿弥陀如来様。肌の色(黄土)がはっきり出ています。柔和な中にも思慮深い表情、「お迎えにきましたよ」と語りかけてきそうです。対照的に隣の阿弥陀様は深く瞑想している様子。さらにその隣の阿弥陀様は衲衣も存在感が出ています。両肩にかかるタイプだったのかな?9体それぞれの特徴も雨は見せてくれます。

 さて、発色といえばホキ1群の地蔵十王像です。

地蔵十王像、いつにも増して鮮やか

地蔵十王像、いつにも増して鮮やか

期待を裏切らず、鮮やかです。ただ今日だけの見え方は?と考えると難しいものです。鮮やかな姿を見慣れたせいでしょうか?

 最後に、湿度・温度、それらの前日比、いろいろな条件が揃ってやっと浮かび上がる梵字です。今日はこちらもはっきりと見えました。

 古園石仏群向かって左半分のある仏様の光背の中に見えるのですが、どこでしょうか?

梵字はどこでしょう?

梵字はどこでしょう?

 向かって左端から3番目の勢至菩薩様の頭上です。
梵字の「バン」、大日如来を表現した文字です。

梵字のバン

梵字のバン

 11月の終わり、思いがけず美しい石仏日和となりました。

石仏はなぜ一度に彫られなかったのか?

向かって左が勢至菩薩

向かって左が勢至菩薩

 臼杵石仏は、平安時代後期から鎌倉時代にかけて(12世紀後半から14世紀中頃)、造立されたとされます。なぜ約150年もの長い期間がかかったのでしょうか?
京都からやって来た仏師集団は、各群を同時に着手し数年で彫ることもできたのでは?
というのも、仏師集団はいくつかのグループに分かれ、その中でも「頭・胴体・足」と担当が分かれていたと分析されているからです。
かなり、効率的な体制です。

 さて、時間がかかった理由ですが3つの説があります。

 まず、経済的な理由です。
京都から来た仏師たちは完成させた分だけその都度報酬を請求したから、というもの。細かい分割払いが認められなかったため、大金が準備できるまで次へ進めなかったということです。地方財政、あまり信用無かったのでしょうか?

 2つ目は、造る順番の問題です。
まず、極楽浄土(ホキ2群)を完成させる必要があったのだろうと。権力者は、自らの往生と力の誇示を生前のうちに形として残したかったのでは?

九品の弥陀(彼岸)から見た満月寺方面(東・此の世)

九品の弥陀(彼岸)から見た満月寺方面(東・此の世)

最近の研究では、ホキ1群の一部とホキ2群は同時期に造られたとされます。 とすると、極楽浄土とその本尊である阿弥陀仏を真っ先に完成させることになります。石仏群の中でも随一の美しさを誇るとされるホキ1群1龕の阿弥陀如来像。立派なご本尊、トップバッターかもしれません。

石仏群随一の美しさを誇るホキ1群2龕の阿弥陀如来像

石仏群随一の美しさを誇るホキ1群2龕の阿弥陀如来像

 3つ目は、その時代の流行を追ったため時間がかかった、とする説です。
当初は浄土庭園と極楽浄土(満月寺と含むホキ石仏第2群)のみの構想だったが、大日如来像も配置し立体曼荼羅を表現しえみよう、地蔵信仰も取り入れ地蔵十王像も置いてみよう、と次々と計画が広がったのではないか、と。

最も新しいとされる(鎌倉期に彫られた)地蔵十王像

最も新しいとされる(鎌倉期に彫られた)地蔵十王像

 どれも説得力がありますし、相互に関連し合っているようにも思えます。

いずれにしろ、4群61体という壮大な磨崖仏群が完成できたことは、すばらしいことです。ゆっくりと時間をかけたからこそ、今もなお親しまれる魅力があるかもしれませんね。

唐楓を眺めながら進む参道

唐楓を背景にした入口

唐楓を背景にした入口

11月も終わりに入ると、石仏入口から見る唐楓の木が染まった美しい参道が望めます。
石仏公園の中に数本ある唐楓の木。
絵本の中に描かれているようなメルヘンチックな風景です。
ここをスタートに参道には、たくさんの紅葉風景があります。
ホキ1群から山王山へ向かう道、頭上には1分間のメープルロードが広がります。
足下にはかわいらしい赤い掌のようなモミジが日ごとに敷き詰められて、踏み出す一歩も心愉しくなるものです。
みなさま、この週末、思い思いの紅葉ショットを見付けに、石仏を歩いてみませんか?
わんちゃんをお連れの方もご一緒にお楽しみください(リードと糞の始末はよろしくお願いします)。

「ホキ」って何ですか?

切り立った崖の中、ホキ1群

切り立った崖の中、ホキ1群

「ホキって何ですか?」
臼杵石仏で最も多く受ける質問です。
ホキとは「崖」という意味の地名です。
臼杵石仏群のある場所は、臼杵市大字深田といいます。その中でもホキ石仏第1群・2群のある辺りの「小字名」が「ホキ」となります。

深い田んぼの崖の中、自然の形態を表したグループ名ですね。
日本語には珍しい響きから、不思議な感覚を与えるのでしょう。
ホキ2群、ここも崖

ホキ2群、ここも崖



山や谷では切り立った崖、川では流水の衝突する川崖に付けられています。「ホケ・ボケ・フキ・フケ」等に転化したものもあるとか。
中国・四国・九州に多く分布し、四国は吉野川の「大歩危・小歩危」は有名ですね。お隣、熊本県の阿蘇には「保木ノ本」があります。
地名には危険を知らせる役割もあり、「ホキ」もその中の一つとされています。
そんな場所に石仏が並んでいるのは、何とも有り難いものです。
900年もずっと護られている、深い田んぼの崖の中。
みなさまのお近くにも神社仏閣に護られている「ホキ」、ございますか?
切り立った崖、ホキ1群横

切り立った崖、ホキ1群横

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