なぜここに集まっている?小さな五輪塔
ホキ石仏第2群の前のスペースには、小さな石塔がたくさん置かれています。
大きさも形も一様ではなくのですが、それぞれに存在感があります。
どれも苔生しており、風合いからかなり古いものと伺えます。小ぶりながら、5段あり五輪塔であることが判ります。
2段目(水輪)に梵字が刻まれたものもあり、なかなか手の込んだものもあります。
普段は、仏様の方を見ているので気にならないのですが、振り返ってこれらの石塔を眺めているといろいろと疑問が湧いてきます。
・これらの五輪塔は誰がどういった目的で造り置いていったのでしょう?
・また、石仏群の中でもなぜこの場所に集中しているのでしょう?
ヒント ①石塔の制作年代は鎌倉時代後期から安土桃山時代。
②ホキ2群は、阿弥陀如来様を中尊とする極楽浄土を表現した場所。
想像がお付きになったのではないでしょうか?
答えは、これらの石塔(五輪塔)は、石仏を参拝する人々が、供養塔として造り置いたものです。
各石仏群が完成した後、多くの参拝者が参道を行き交っていた時代。
祈りを捧げるだけではなく、五輪塔まで造って置いていったということのようです。
また、ホキ石仏第2群が極楽浄土を表すことから、親しかった故人が浄土で生まれ変わり成仏することを願ってこの場所に置かれたのでしょう。
所変わって、ホキ石仏第1群第4龕、お地蔵様のいる場所にも石塔が置かれております。
ここは、地獄の裁判を表す場所。法廷の中の供養塔。成仏できるか、よほど心配されていた人なのでしょう。
でも、大丈夫。石塔まで造ってくれる人が1人でもいるということは、そんなに極悪人でもなかったはず。
石塔を見ながら巡ると、参道が長年の祈りの道であったことが、しみじみと感じられるものです。