台座時代の大日如来様は伏し目ですら気持ちが通じ易かった?
長年の間、「石仏の顔」として親しまれてきた落下した大日如来像の頭。
台座に安置されていた姿が印象的で、石仏を訪れた多くの人々の記憶に今なおとどまっているようです。
昔は覆い屋も簡易であったため、もっと近くに感じられた、という声も多く聞かれます。
当時の写真を眺めていると、確かに人との距離は近かったのだろう、と思います。
一方で、視線を合わせることは難しかったのでは?という思いが湧いてきます。
現在では、少し腰をかがめて下から眺めることで、大日如来様と視線を合わせることができます。正面に立っただけでは目はなかなか合いません。それだけに、下からお顔を見ると何とも心が近付いたような気持ちになるものです。
しかし、頭が落下していた時代にはまた別の「身近さ」が漂っていたのでしょうね。